メルマガ「中村天風 一日一話」配信休止に伴う臨時掲載のお知らせ
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10月の天風箴言(新箴言註釈二十四)
【10月21日】 慌てるな
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どんな場合でも慌てない人となるには、平素の言動をできるだけ落ち着いて行うよう、心がけるべきである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『真理のひびき』箴言21です。)
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心が慌てると・・
人間というものは、男女の別なく、どんな場合にも、その人生に生きる際に慌ててはいけないのである。
というのは、人生に生じる誤りや過失というものは、その原因が、心が慌てたときに多いからである。
慌てるというのは、またの名を周章狼狽(しゅうしょうろうばい)というが、これは、心がその瞬間放心状態に陥って、行動と精神とが全く一致しない状態を言うのである。
心がこうした状態に陥ったときというものは、意識がほとんど不完全な状態になっているのである。
言い換えると、心があっても無きに等しい状態になるのである。
だから、さまざまな過失や誤りが生ずるのも当然である。
そしてそういう心になると、時には笑えない滑稽ともいうべきミステークさえ行うのである。
例えば、手に持っているのを忘れてその物品を紛失したと早合点して、大騒ぎして探すなどという、常識では到底考えられない珍芸さえ演出するのである。
沈着なる心こそ、明澄な意識を現実化し、明澄なる意識こそは、その行動の是非善悪をきっぱりと判断して、緩急自在にこれを統御するものである。
(機関誌『志るべ』に掲載された「新箴言註釈21」現代語表記版より引用抜粋)『真理のひびき』箴言21に該当。
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【10月22日】 象よりも哀れじゃないか
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インドに行きたての時、おまえは象よりも哀れな人間だと言われた。
象も、あんなでかい、千五百貫もありながら、七つか八つの子供に尻ひっぱたかれながら、子供が引っ張って歩かない限り、一人では歩けないじゃないか、おまえは、あれよりもさらに哀れだと。
象は自分一人の力で歩けない臆病者であるだけの哀れさであるが、おまえのはその上に自分の理屈で自分が迷っている。
より一層哀れだと。
それもこれも、おまえは自分というものの本当の正体を正しく見極めていないからだと。
中村天風
(本日の一日一話の出典は中村天風講演録です。)
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自分の本当の正体を知る
「我」とは何であろう?
もちろん、相対的に考えれば、「我」とは人間であるとか、あるいは「我」とは万物の霊長であるとか、誰でも即座に答えられることと思う。
しかし、ただ単に「我」は人間であるとか、あるいは万物の霊長であると考えられただけで、人生がどんな場合でも、すなわち病が生じようと、非運に陥ろうと、少しもうろたえず、また悲観もせず、いわゆる安心立命という境地を得られるのなら、人生くらい簡単なものはないということになる。
が、なかなかそうはいかないのが人生である。
そんな簡単な解釈で人生というものはやすやすとは解決できないものだからである。
今日のような混沌とした複雑な時代に活きるには、到底そんな単純な解釈では、この逆巻く人生の荒波に、安全な航海は望んでも万に一つも得られることはない。
「我とは何か」ということが、正しく理解されたとき、初めてその正しい理解が、ゆるぎない人生観を確立し、その確立された人生観が、一切を自ら導く力となって、自己を完全に統御することができるようになるのである。
(機関誌『志るべ』に掲載された『研心抄』現代語表記版第1章より引用抜粋)
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【10月23日】 周章狼狽(しゅうしょうろうばい)の愚
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多くいうまでもなく、人間というものは、いかなる場合にもその人生に活きる際、慌ててはいけないのである。
というのは、人生に生ずる錯誤や過失というものは、その原因が、心が慌てたときに多いからである。
慌てるというのは、またの名を周章狼狽というが、これは心がその刹那放心状態に陥って、行動と精神とが全然一致しない状態をいうのである。
心がこうした状態に陥った時というものは、意識は概ね不完全意識になっているのである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『真理のひびき』箴言21です。)
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急ぐ時にはまず心を調える
人々が一番多く失敗するのは、急いで事をする時である。
急ぐ時には、先へ、先へ心は焦る。
先の結果に気をとられ、心は分裂するから、只今の足許はおろそかになる。
日常生活で、急がねばならないことがしばしばある。
緊急の時には、心を冷静に堅持して、動作を敏速にすればよいのである。
急ぐ時、心をせかしてはならないのである。
急ぐと心が荒れる。慌ただしいという字になる。
慌ただしい中で平常心を亡(うしな)うと、忙しいという字になり、忘れるという字にもなる。
心がそわそわして気ぜわしさを感ずる時は、まず坐ることである。
どっかりと坐ると、その体勢から心に落ち着きが出てくるものである。
イライラして歩き廻っていると、焦燥感はつのるばかりである。
まず坐り、ゆっくりと、長く、深い呼吸をするがよい。
ゆるやかな呼吸は、心を和やかにする。体の緊張感を解く副交感神経が作動してくるからである。
そして養動法を行うがよい。そのリズミカルな動きは、気持ちを落ちつけてくれる。
また心を静かに澄ます安定打坐法は、心の安定に大いに役立つ。
急がねばならない事に出合ったら、ここだここだと、心を焦らさず、分散させず、注意の集中を心がけることにしよう。
(杉山彦一著『いのちを活きる』第9章より引用抜粋)
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【10月24日】 他人への同化に注意
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他人の消極的な言葉や行いに、知らず知らずに同化するつもりがなくても同化せしめられちまうのであります。
そして、同化するといつしか、自分も同じように哀れな、惨めな人間になっちまうのであります。
しかも、そうした恐るべき誘惑が悪意でなく行われているんです。
それを考えたら一段と注意しなければならないということがおわかりになるでしょう。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『成功の実現』第2章です。)
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消極的な言葉は心の中で拒絶する
消極的な言葉を耳にしたら、「それはマイナス言葉である。その言葉は、私はとらない」と心の中で拒絶することである。
しっかり拒絶した暗示は、心に侵入しない。
そして私ならこう表現すると、心でつぶやくことである。
これが訂正暗示である。訂正暗示が心の中で定着することで、世の中を堂々と生きてゆくことができる。
(杉山彦一著『いのちを活きる』第6章から引用抜粋)
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【10月25日】 人間は本来幸福に活きられる
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人間というものは、老若男女の差別なく、その生命の中に健康も運命も自由に獲得し、また開拓し得るという真に感謝に値いする偉大な力が与えられている。
人間は、そうやたらと病や不運に悩まされたり、虐げられねばならぬものではなく、よくその一生を通じて、健康はもちろん、運命もまた順調で、天命を終わるまで幸福に活き得られるように本来的には作られているものなのである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『真人生の探究』第1章です。)
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本当のリアリスト
縁あって人間世界に生まれてきた以上は、できるだけ強く長く、そして広く深く、健康も運命も完全に生きなければ二度と出てこれない世界だ。
命が大事か大事でないか親類会議を開く必要も何もないことです。
ご自身で考えなさって、本当に命が大事だと思う方は、人生に対する本当に階級の高い理念が心のなかに閃きだした人なのであります。
そして、人生という現実の世界に生きる自分を、本当のリアリストとして生かさなければだめです。
夢うつつのような、おとぎ話のような、自己欺瞞(ぎまん)で人生を過ごしてしまったのでは、二度と繰り返すことのできないこの人生、もったいないです。
あっそうか、と気のついた時が新しいバースデイであります。
自己に新しい百八十度のコンバージョン(転換)を与えるバースデイをつくるかつくらないかは、あなた方の自覚に待つのみであります。
(『成功の実現』第1章より引用抜粋)
【10月26日】 潜勢力という偉大な力
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多数の人々は、人間には生命の奥に内在する微妙にして優秀な潜勢力なるものの実在を意識せず、また信念していない。
何をおいても、人間には、人生のすべてを立派に解決して、万物の霊長である資格の発揮を完全にしてくれる頼もしい潜勢力というものが、自分自身の生命の内奥に厳として実在しているという自覚意識に目覚めなければだめである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『真人生の探究』第1章です。)
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潜勢力を発揮するために必要な自己認証
人間は何人といえども、生まれながらにしてその生命の奥深くに、万物の霊長として生きていくことのできる『潜勢力』、リザーブド・パワーという微妙にして優秀な力を持っている。
すなわち、人間はその一生を通じて、健康はもちろん、運命もまた順調で、天寿を全うするまで幸福に生きられるように本来は作られているものである。
潜勢力の存在というものを信念して、人間が人間らしい本来の面目を発揮して生きれば、病を克服し、運命を切り拓いていくことができるのである。
したがって最初にしなければならないことは、「私はこの潜勢力を生まれながらに与えられている」という正しい自己認証を確固不抜(かっこふばつ)のものにすることである。
(尾身幸次著『天風哲学実践記』より引用抜粋)
【10月27日】 ふがいない人生
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現代の人々にはどうもわかっていない。
ただ目の先の見えている小さな出来事と自分の人生とを結びつけて、それに心をしょっちゅう踊らされて、あたら現実の人生に泥塗ってるような、きわめてふがいない人生を生きている。
そしてそれが何か人生の本当の姿のように思い違いしてる人が、ずいぶん今の世の中に多かないかい。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『盛大な人生』第3章です。)
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人生はどこまでも現実のもの
およそ人生というものは、どこまで行っても現実なものなんだ。
どんなに文学的な美辞麗句を使って形容してみても、せんじ詰めて言えば、生きているということは現実なんだ。
その現実というものは、どうしても現実の力でのみ解決しうるので、現実以外の力では解決できないのであります。
ですから、どんなにお互いがいい文章を読んで感激したところで、またどんないい光景を見てエクスタシーを感じても、それが自分の人生に本当に結びつかない以上は、自分というものはただそれを夢のように喜んだだけで終わっちまう。
それでは人生というのは解決つかないので、したがってどこまでも現実である以上は、宇宙真理の正しい理解を自分の心にしっかり受け入れて、その受け入れた真理でこの人生というものを固めていかなきゃ駄目なんであります。
(『盛大な人生』第3章より引用抜粋)
【10月28日】 調和は自ら進んで作る
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何事を為すにも
力と勇気と信念とを欠如してはいけないが、「調和」ということを無視せぬように心がけないと往々軌道をはずれる。
これを無視した言動は、完全な成果を具顕(ぐけん)し能(あた)わないからである。
これは「不完全の中に調和が絶対にありえない」という宇宙真理があるがためで、
調和を度外視した言動は現実構成の軌道から脱線すべき必然性を生み出すか招来する。
調和は相対事物の中に求めるべきでなく、自ら進んで作為するべきものである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『叡智のひびき』箴言12です。)
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調和を無視すると良い成果を実現することができない
世の中を見渡せば、何かの目的の成就に向かって、力も、勇気も、信念も、十分にその心構えの中に申し分なくあるのに一向によい成果を実現することが出来ない人が少なくない。
要するにこうした人は、自分の存在のみを重く考えて、自分以外にも人がいるのだという大切なことに配慮しなかった結果、知らず知らずの間に調和を無視しているのだ。
すると、その当然の結果として、物事の現実化がその努力に相対してこないことになる。
(機関誌『志るべ』に掲載された「箴言註釈12」現代語表記版より引用抜粋)※『叡智のひびき』箴言12に該当。
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【10月29日】 本当に安心できる人生
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せっかく縁あってこの人生に生まれたならば、そりゃもう飽きることはなかろうけれども、飽きるほど生きてるほうが得だぜ。
そして、病が生じようが、運命が悪くなろうが、本当に安心のできる人生に生きるということが当面の急なんだから。
いくら長生きができても、本当に安心できない人生に生きてたんじゃ、三文の値打ちもないだろ。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『心に成功の炎を』第3章です。)
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安心に生きる秘訣は自分の「正体」を知ること
自分というものの正体は、形ある肉体でもなければ、観念で考えられる心でもなく、ぜんぜん見えない「気」だと、こう考えるのが一番いい。
本当に安心のできる人生に生きるというと、病や煩悶が仮にでたとしても、自分の正体が「気」だとわかっているから、少しもその出来事に煩わされるおそれがない。
見えもしない、感覚もないものは、何物にもダメージを受ける気遣いはねえじゃねえか。
だから、今日から、肉体は我が命の生きるための道具と考えるようにしてごらん。
頭が痛かろうが、けつが痛かろうが、脈が速かろうが、それは自分がそうなっているんじゃない、と。
自分の命を入れる入れ物に故障ができたんだけど、この故障は、自然に心がそれから離れさえすれば治るようにできてるんだってことを、ありがたく感謝しなきゃだめだぜ。
(『心に成功の炎を』第3章より引用抜粋)
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【10月30日】 真我は不滅である
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真我に内在する力はどんなものであるか。
それは、絶対不可犯のものである。
これに対し、肉体の有する力は相対的のものであり、火や水や大気などには敵することができない。
しかしながら、真我は、全生命の本源的中枢で形象を有しない無形の一実在である。
故に、火にも水にも一切の何ものにも決して犯されない絶対不可犯のものである。
絶対的のものにはまた、絶対的の力のあるのは当然のことである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『研心抄』第1章です。)
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真我本位で生きると恐怖が消える
真我に対して正しく信念することができたならば、その心に感じていた「恐怖」という観念の大部分のものは、あたかも朝日の前の霜のように消え去り、かわりにふつふつと勇気が驚くほどこの心にみなぎってくるのは必然である。
というのは、人間の心に生じる恐怖観念というものは、その多くは肉体を本位に考えるために発生するものなのである。
ところが真我を本位として考えるとき、それが何ものにも犯されない絶対的なものであるだけに、いささかの恐怖感も感じないことになる。
およそ恐怖という観念ぐらい人生を毒するものはない、言い換えると、人生の安定というものが徹底的に破壊される。
たとえば病を気にするのも恐怖観念があるからで、更に運命や人間社会の俗事をいろいろ取越苦労するのもやはり恐怖観念が働くからである。
人間の心の中に恐怖観念というものが発生する程度が軽減されると、どれほどか人生に感じるなごやかさが多くなるかである。
そしてその結果は健康上にも運命上にも良好な影響を及ぼす。
(機関誌『志るべ』に掲載された『研心抄』現代語表記版第1章より引用抜粋)
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【10月31日】 理想の姿を心に描く
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人生に何か不足なところがあって、もっとそれを完全なものにしたいと思うことがあるんなら、いちばん手っ取り早く、それが自分のものになった姿を理想の上に描き出すことです。
体が悪かったら、体の悪い状態をしょっちゅう考えないで、もう治った健康な状態を自分の理想の姿の上に描かなきゃ駄目だよ。
運命またしかり。
絵を画いたり、字を書いたりする時は、出来上がった姿を心に描くからできるんだね。
出来上がった後の姿を心に描かないで書いてる字でも絵でも、見るに堪えないじゃないか。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『盛大な人生』第3章です。)
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理想の成就は、現在の一歩一歩を考えることから
ただ理想のみをむこうのほうに掲げておいて、そして現在の一歩一歩を考えないで、理想の火を炎と燃やしたって駄目だよ。
ただむこうで燃えてるだけだもん。
理想の実現、成就というものは、現在の現実を正しくパッと握って離さないことなんだ。
そうして、しょっちゅう「可能に、可能に」と、観念のなかでは可能にしちまわなきゃ駄目だ。
もっとわかりやすい言葉でいえば、できてないことをできた格好にしちまうんだ、頭のなかで。
だから、「ああ、私はそんなことはできません、できません」はいけないんだよ。
本来の面目たる心身統一を心から失なっちまうことになるもん。
(『盛大な人生』第5章より引用抜粋)
11月の天風箴言(新箴言註釈二十五)
【11月1日】 人の一生は、一回限り
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人の一生は、なんとしても一回限りのものである。
絶対に二生はない。
生まれかわったようだということはあるが、それは、ただ観念的に想定した二生なので、現実の二生というものは決してないのが実際である。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『真理のひびき』箴言2です。)
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価値高い人生を活きる
この世に我々が生きている期間というものは、どんなに長生きしても、永遠の年月をもつ宇宙生命の長さに比較すれば、むしろ夢一瞬の短いものである。
人の一生は、一生限りのものである以上、いかなる場合にも、その生命の存在状態をできるかぎり価値高くさせるようにしなければならない。
人間には、人間がひとたび自分自身の本質の尊さというものを正しく自覚すると、「心」が自然と自己自身を気高い人生に活きるようにリードするという法則性がある。
だからそうなると、その人は必然的にどんなにわずかな時間であろうと、いつも価値ある人生を生きられることになる。
人間は、健康的にも、運命的にも、常に幸福に恵まれるように本来作られているのである。
(機関誌『志るべ』に掲載された「新箴言註釈2」現代語表記版より引用抜粋)※『真理のひびき』箴言2に該当)
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【11月2日】 言葉の暗示感化力
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言葉というものは人間の世界だけに与えられた、まことに何ともいえない重宝なものであるが、ただ上顎と下顎がぶつかり放題、思うがままにしゃべっていると、時として、その言葉が自分の生命や他人の生命までも傷つけることがある。
言葉は、実在意識ならびに潜在意識をきれいにしたり、あるいは汚したりする両方面の働きをもっている。
つまり、言葉ほど、恐ろしい暗示感化力をもつものはないのであります。
中村天風
(本日の一日一話の出典は中村天風講演録です。)
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積極的な言葉は生命の状態をよりよくする
人間の精神生命には、暗示の感受習性というものがあるから、たった一言をいうのも、暗示感受習性が必ず、自分では気がつかなくても、ものの声に応じたように感じる。
感じると同時に潜在意識に対して、そのとおりの状態が働き出し、潜在意識の状態が実在意識の状態に同化してくるのである。
そして、その結果が気高い言葉、神聖な言葉であり、いい換えれば、積極的な言葉を表現した場合には、生命の一切が極めて状態のよい事実になって現れてくる。
実際人間が日々便利に使っている言葉ほど、実在意識の態度を決定するうえに、直接に強烈な感化力をもつものはない。
感化力というよりむしろ暗示力といおう。
このことを完全に理解し、かつこれを応用して活きる人は、もはや立派に人生哲学の第一原則を会得した人だといえる。
(『運命を拓く』第4章より引用抜粋)
書籍のご案内 運命を拓く
【11月3日】 年齢に惑わされない
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知ってるかい?
自分の人生を軽く見る人に限って、自分の年齢というものをやたらと重大に考える。
おかしいんだよ。
命を軽く考えるやつに限ってからに年齢を重く考えて、俺も幾つ幾つだから…と言う。
その幾つ幾つならどうなんだ、一体!
何遍も言っているとおり、どうせ人間生まれた以上は一遍は死ぬんだ。
しかし死んでいない以上は生きているんだ。
生きている以上は有意義に生きなきゃだめだよ。
幾つになろうとも、自己を向上せしめるっていう意欲を失ってはいけませんぜ。
それには自分を見捨てないことです。
中村天風
(本日の一日一話の出典は中村天風講演録です。)
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自分を日々プロモートさせる
いかなる場合があろうとも自己を正しく向上せしめることが価値の高い目標なんだ。
今日よりも明日、明日よりも明後日、明後日よりも明々後日というふうに、自分を日々にプロモートさせることをしょっちゅう考えなければいけないんだよ。
若い時はねみんな心の中に、その気持ちが燃えていますよ。
けれども中年過ぎて、しかもそうとう働いていても思うことが思うようにならない。
勉強したくても勉強する暇がないっていう人は、いつの間にか情熱が薄れてしまうんだよ。
自己向上という意欲を自分の心に燃やさないで、希望や理想をもたないで生きている人は、自分自身の人生存在を極めて軽く見ている人だぜ。
人間は万物の霊長だぞ。
何ものにも代えがたい貴重な生命である自分を考えたら、もう少し自分の人生ってものを重く見ようや。
重く見るっていうことが、自己向上っていうものの意欲に非常に関係していることを忘れちゃだめだよ。
(中村天風講演録より引用抜粋)
書籍のご案内 中村天風一日一話
【11月4日】 チャンス
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「チャンス」に対しての必要な注意は、常にそれを見逃さないようにすること。
もう一つは、チャンスに直面した際、いたずらに逡巡遅疑(しゅんじゅんちぎ)しないことである。
すなわち颯爽たる決断力をもって、万難を排して、これをキャッチすべしである。
中村天風
注)逡巡遅疑:色々と疑い迷っていつまでも決断できずにグズグズしていること
(本日の一日一話の出典は『哲人哲語』「再び統一式修練ということについて」です。)
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チャンスを巧みにとらえる
決断力の鈍い人は、せっかくのチャンスを、心ならずも逃してしまうことが多い。
古訓に、「チャンス」を逃す者は愚人である、というのがある。
また「真によく成功する者は、常にチャンスを巧みにとらえる人である」というのがある。
この言葉通りに「チャンス」というものを、いつも正確に逃さずにとらえて人生に活きている人が、どの位あるであろうかである。
しかも「チャンス」というものは、そうしばしばは、容易に恵まれないものである。
運命であれ、健康であれ、それをより良い状態にするには、その「チャンス」を絶対に逃さぬことである。
(『哲人哲語』「再び統一式修練ということについて」より引用抜粋)
書籍のご案内 哲人哲語
【11月5日】 一心不乱にやる
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修養の途上には、しばしば嶮山深谷(けんざんしんこく)がある。
まして過去の長い間、少しもそうした方面に、意識を向けることなしに生活していた人には、それ相当の努力を一層必要とするのがこれまた当然のことであるから、あらかじめそれを充分我が意念として、怠る心に鞭打つ気組みで熱心に実践を継続しなければならない。
そうすれば必ず追々と初期の目的を達成し得ることは、これまた必至である。
要はただ一心不乱に、いったん実践に志したならば、何かの効果事実を把握するまでは、絶対に中止しないと堅く自己自身の心に誓うべきである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『真人生の探究』第1章です。)
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「できるかできないか」ではなく、続けると自然にできるようになる
己の修行上の怠りや過失に対しては、あくまでも秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)、忘れちゃいけない、許しちゃいけない。
あくまでも厳格に自分を自分でもって反省しながらムチ打って、たとえば今日初めて真理を聞いたような気分になる。
できるできないは二の次ですよ。
やっているうちには自然とできるようになるんだもの。
朝起きてから寝るまで、もっと広い意味において、三寸息絶え万事休するその日まで、病があろうとなかろうと、運がよかろうと悪かろうと、特に、健康が悪くなったり、運命が悪くなったときこそ、よりいっそう心身統一法を実行する。
これが精進の気持ちだ。
※秋霜烈日:秋の冷たい霜や夏の激しい日差しの気候のような非常な厳しさ
(中村天風講演録より引用抜粋)
書籍のご案内 真人生の探究
【11月6日】 心意識の新陳代謝
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消極的な暗示には感応するが、積極的暗示には感応しないというのが普通の人である。
安定打坐法を行うと、積極的暗示の感受性が強くなり、消極的暗示にはいままでのように簡単には感応しなくなる。
この方法は、乱れた心を平静にし、心を虚にすることができ、心意識の新陳代謝を行うことができる。
すなわち、心は曇りと汚れを排除すれば、本来の姿を現し、本来の姿が現れれば、心はきわめて強いものなのである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『安定打坐考抄』です。)
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安定打坐(あんじょうだざ)中に湧き上がる雑念妄念
安定打坐法をやってみるものの、次から次へと湧き出てくる想念。
そんなときどうしたらよいのか、中村天風の直弟子であった杉山彦一氏は次のようにアドバイスを残しています。
(以下、杉山彦一著『いのちを活きる』第10章より引用抜粋)
安定打坐をすると、さまざまな想念が心の中を勝手に動き廻る。
仕事のこと、彼女のこと、勉強のこと、遊びのこと、次から次へと想念は浮かび出てきりがない。
雑念や妄念を押し込もうとすると、かえって妄想念のとりこになる。
妄想念が発生したら、ムキにならず、そのまま放置しておくことである。
初め勢いよく駈けていた妄想念も、張りあいがなくなるせいか、自然に勢いを失い、休息するようになる。
ひとりごとを長時間いってごらんといわれても、そう長く続けられるものではない。
自然に黙ってしまうようなものである。
【11月7日】 正しい愛情
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ほんとうに愛するという気持ち=正しい愛情というものは、活きている「いのち」に対する尊敬という心理的現象がこれに相対するバロメーターをなすものなのである。
だから、こうして、呼吸し、飲食し、排泄し、そして、ものをいい、互いにその心を感じ理解し、さらにこうして生命が動いている、すなわち活きているという大事実を、衷心から尊敬するという敬虔な気持ちにならないとしょせん、正しい愛情というものは、心の中から湧き出てこないのである。
中村天風
注1)バロメーター…程度を推し量る基準
注2)衷心…心の底
(本日の一日一話の出典は『叡智のひびき』箴言6です。)
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「いのち」は神秘そのもの
「いのち」とは、こうして活きている現実の状態に名付けられた名称である。
言い換えれば、不滅のエネルギーが人間から人間へ、はっきりいえば親から子へ、子から孫へと、その生殖細胞に代々伝えられ、そしてそれが現象界で現実に活動している状態を指して言うのである。
いのちの活きているのは、実に不思議なのである!!
不思議などという言葉では到底形容ができない。
全く神秘そのものである。
この生命の存在という真実のありさまを静かに見つめれば、活きているという生命の姿の中に神秘のさまざまが感じ取られ、自然と心からそれを尊敬する気持ちになれるはずである。
(機関誌『志るべ』に掲載された「箴言註釈6」現代語表記版より引用抜粋)※『叡智のひびき』箴言6に該当。
書籍のご案内 叡智のひびき
【11月8日】 理性の判断は相対的である
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理性の判断するところのものは、ありふれた常識の判断や、軽率な感情本位の判断よりは、はるかに、論理的価値の高いものを多く保有しているには相違ない。
が、しかし、いかにその判断が、論理的に的確厳正であろうとも、所詮、理性判断なるものは、厳格な意味で論定すると、どこまでいっても「相対的」で、到底本心良心の許諾の如く、絶対的なものではあり得ないのが真理である。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『叡智のひびき』箴言29です。)
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「本心良心」と「理性」による言行
本心良心による言行とは、何の後ろめたさ、つまり少しの気とがめをも心が感じないことを言い、行うことである。
少しでも自分の言行を弁護したり理由づけることによって納得しようとするのは、それはとりもなおさず、理性の判断をただちに本心的なもの良心的なものだと独善的に断定強調しようとする、極めて価値のないいわゆる「独りぎめ」だと言ってよい。
ただし、くれぐれも誤解されたくないことは、「理性を無用のものだ」というように解釈しないことである。
優秀な理性心意は、大いに推奨尊重すべく大いにその進展を啓発するべきである。
(機関誌『志るべ』に掲載された「箴言註釈29」現代語表記版より引用抜粋)※『叡智のひびき』箴言29に該当。
書籍のご案内 叡智のひびき
【11月9日】 「悩み」は消極思考の産物
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「悩み」という心理現象は、決して発作的に偶発するものでなく、必ずや、その心の中に、何かの取り越し苦労かまた、消極的の思考、すなわち憤怒、恐怖、悲観、憎悪、怨恨、嫉妬、復讐、憂愁、煩悶、苦労等々というような消極的感情情念が、心頭に発生する結果現象なのである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『叡智のひびき』箴言3です。)
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心を苦しめ、悩ませるもの
元来、人間の心の中に煩悶が起こるということは、あり得えない事実なんだ。
過去の人間の生存には必要としていたけれど、現在の人間には必要としない、いわゆる不必要な欲望や情念が、今なお自分の心に残留しているのを、正しく整理していないために、それが折に触れて、ときに触れてやたらと実在意識領に飛び出してきて、暴れ回る。
それが結局煩悶だ。
たとえわずかなことでも心の中に煩悶のようなものを感じるなら、それを冷静に、第三者の立場に立ったつもりで観察してごらん。
それは自分の欲望なり、あるいは自分の感情情念が、満足するように満たされないために生じてきた心理現象だと、すぐ気がつくから。
(『心を磨く』第5章より引用抜粋)
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【11月10日】 まず自分を批判するべし
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自己の生命と人生を自ら擁護するには、何はさておき、いかなる時も、自己の心の強さ、尊さ、正しさ、清らかさを堅持することである。
換言すれば、自己の「心」を微塵(みじん)も汚さぬよう「心がける」ことである。
心身統一法を実践するのに際して、特に心がけねばならないのはみだりに他人を批判しないことである。
それをする暇があるくらいなら、その前に自分自身を厳格に批判し、自己の是正に努力しなければ、正しい人生など送れるべくもない。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『叡智のひびき』箴言9です。)
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他人のアラ探しを止める
ことわざに、「人のふり見てわがふりなおせ」というのがあるが、他人の言葉や行為をやたらに批判する人というのは、人のふりにわがふりを正しく照合してわがふりを是正しようとはしないで、ただ難癖をつけて批判するだけなのであるから、その批判からは少しも価値あるものを自分の心に感じ取れない。
みだりに他人を批判することが主になって、少しも自己省察をしないために、人生になによりも大切な自分自身の統御ということに、少しの進歩も向上も現れてこないのである。
大切なことは、他人のアラや欠点を詮索することを止めて、自分のアラや欠点を厳しく反省することである。
(機関誌『志るべ』に掲載された「箴言註釈9」現代語表記版より引用抜粋)※『叡智のひびき』箴言9に該当。
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【11月11日】 自我と人生
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かりそめにも人生を考慮するに当たっては、自我というものを絶対に無視することはできない。
それは、水を無視して波を論ずることのできないのと同様である。
水を離れて波はなく、波はまた水なくしては立たないと同じく、われら人間は「自我を離れて人生なく、同時に人生を離れて自我はない」
中村天風
(本日の一日一話の出典は『哲人哲語』「いのちの力の使い方(自我と人生)」です。)
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自我を理解し、現実に活かす
水も波も、その性質はもともと相等しきものであるのと同様に、人生の「性」と、自我の「性」はお互いに離れて存在することはできないものなのである。
詳しくいうならば、波の「性質」は、水の「性質」によって理解されるように、人生は、自我の「性」によって理解することが出来る。
人生というものは、「自我」の生きる方向によって決定される。
「自我」とは、心と身体の全統一の生命をいうので、生活の注意の方向が心なり、肉体なりの、いずれかに少しでも傾いたのでは、生きるために必要とされる認識を滅裂して不統一の状態にしてしまう。
だから、完全な人生に活きるためには、まず「自我」の本質を理解し、同時に、その理解を現実にするよう生活しなければいけない。
(『哲人哲語』「いのちの力の使い方(自我と人生)」より引用抜粋)
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【11月12日】 肥料には季節がある
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たとえば植木に肥料をやるにしても、必要だからといって、やたらに肥料をぶっかけても成長しません。
植木が肥料を欲しがっている時にかけてやらなきゃだめなんです。
人生に関する話もこれと同じで、結局、人間となる場合に必要な肥料も、やはりかける季節があるんです。
その人が人生を、ほんとうに求めている状態の時でないと、与えたものが心のなかで、よく噛みくだかれないという結果がきてしまうんです。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『君に成功を贈る』「価値高く生きる」です。)
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真剣に聴き、受け取る
偉くなる人とそうならない人では、同じ話を聴いても、聴き方、受けとり方がぜんぜん違う。
そして、受け取ったことを自分の人生に、どう応用していくかということだけの差なんです。
天風会の会員で、実業界に成功した一人に、松下幸之助(パナソニック創業者)氏がおります。
この人が私の話をはじめて聴いた当時は、長屋を3軒ぶち抜いたところで、10人ばかりの徒弟工を使って電灯の線をむすびつける仕事をしていたころです。
思えば、そのとき世界的に有名な電機王になるなんてことは、私はもちろん、本人も思っていなかったでしょう。
彼は、普通の人の聴き方とぜんぜん違っていましたよ。
学問も工手学校(工業校)の夜学を出た程度でしたが、聴き方が一生懸命であっただけに、受けとり方も他人よりはるかに内容量が大きかったに違いない。
その結果が、今日あれだけの結果を生みだしているんです。
(『君に成功を贈る』「価値高く生きる」より引用抜粋)
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【11月13日】 取り越し苦労の害
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取り越し苦労を当然だと思う人は、自分の墓穴を自分で掘っている愚かな人なのであります。
事のいかんを問わず、よしんば、ほんとうに心配することを心配した場合でも、心配しなくてもいいことを心配した場合でも、結果は同じなんです。
すなわち、取り越し苦労をすればするほど、その心の消極的反映が即座に運命や健康のうえにまざまざと悪い結果となってあらわれるからであります。
「百害あって一利なし」というのが取り越し苦労なんであります。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『成功の実現』第2章です。)
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取り越し苦労(未来苦労)とは?
これからのことを悪く想像し、その上に立ってさらに悲観的に考え、その上に立ってさらに絶望的に考える。
消極思考の想像の積み重ねである。
これ程無駄な心の使い方はない。
身も心も疲れ果ててしまう。
未来に向かって心を使う時は、明快な頭脳と積極的な思考で行わなければならない。
それが未来への周到な計画である。
失敗計画を立てる人はいない。
いざ緊急の場合の処置を考えるのは、危険の管理で積極的思考である。
消極的思考は不安や恐怖を伴い、思考の混迷を招き、長期計画もできなければ、只今の判断すらできない。
先々のことを消極思考で取り越し苦労しながら、現在、只今を次々と失敗している人は、懐中電灯を遠くに向けながら、足許の石につまずく人だ。
取り越し苦労をしている自分に気が付いたら、大声一喝、「無駄な心の使い方を止めよ」と叫び、眼前の花の美しさを見つめるがよい。
(杉山彦一著『いのちを活きる』第6章より引用抜粋)
【11月14日】 心身一如
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生命内奥の潜勢力という、人生の一切をより良く解決してくれる偉大な力の発現は、人間を、人間の命のありのままの姿である心身一如の状態を確保するため、心身を統一して生活せしめれば、期せずして当然発現してくるのが、犯すべからざる真理である。
それでは、心身の統一された人生生活様式とはどんな状態かというと、精神を「精神生命の法則」に、肉体を「肉体生命の法則」に順応して生活することである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『真人生の探究』第1章です。)
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精神生命と肉体生命の法則
精神生命の法則の第一の法則である心の持ち方とは、どんな持ち方か。
それは、いかなる場合があろうとも、積極的な心の持ち方をする。
使い方は、常に観念を集中する。
肉体生命の法則は、生き方は常に自然法則に順応せよ。
第二のほうは、使い方。
常に訓練的に積極化せよ。
これらが守られれば、ぐんぐん生きる力がボリュームを増してくる。
活力が条件なしに命の中に入ってくるから。
この四つの心と肉体に絡まる各々の法則の中で、何が一番先に大事か、これが心身統一の根本義をなすのであります。
家を建てる場合に必要なのは、完全な設計とともに、基礎工事を完全に施すことでしょう?
どんな腕ききの建築屋が来たからとて、基礎工事が不完全なところに立派なものは建ちません。
心身統一の理解が明瞭になっても、基礎的手段である心の態度の積極化ということが本当に企てられないと、努力むなしく九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く恐れがないとも限らないんであります。
※九仞の功を一簣に虧く:長年の苦労や努力も最後のわずかな失敗から不成功に終わることのたとえ
(『幸福なる人生』第2章より引用抜粋)
【11月15日】 真我と肉体の関係
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真我というものは、肉体でもなく、肉体を超越したものである。
真我と肉体の関係は、肉体に衣服を着ているのと同様に、真我は肉体という仮衣を着けているものであると思量するとわかりやすい。
そして、この意識観念は、当然自己の本体(真我)と肉体とは全然別箇のものだということが自然と自覚的に明確となり、「われ」というものが、断然肉体という物質を超越した一実在であるという意識観念が確立する。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『研心抄』第1章です。)
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真我と肉体は別物
真我と肉体の関係は、肉体と衣服のような関係と考えれば、わかりやすい。
ヒマラヤで天風先生が腰に巻いていたターバンと天風先生自身の関係である。
ターバンが天風先生でないのと同じように、肉体は「我の本体」ではない。
ターバンは汚れたら洗えばよいのだし、たとえ破れても、着けている本人には、何の変わりもない。
あるいは、真我は肉体という家屋に便宜上宿っていて、我々が生活するために家屋を使っているように、真我が肉体を使っていると考えればわかりやすい。
当然ながら、家屋が自分ではないように、肉体は「我の本体」ではない。
このような意識を持てば、自己の本体である真我と肉体とは、まったく別のものだということが自覚できるようになるだろう。
(尾身幸次著『成功への実践』第5章より引用抜粋)
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【11月16日】 真理に目覚める方法
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本来人間は、この世に生まれ出た時から、たえず真理に接し、真理の中で生きている。
真理の中にいながら、この真理をなかなか自覚できないのは、心の中に雑念妄念があるためである。
本当に心が清い状態であれば、真理はすぐに発見できる。
安定打坐(あんじょうだざ)という特殊な方法を行うと、雑念妄念がたちどころに消え去っていく。
そうすれば、たいした努力や、難行苦行などをしなくても、自然に心が真理と取り組んでいこうとするのである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『運命を拓く』「真理瞑想行について」です。)
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天風式座禅法
ブザーの音を聴きます。
ブザーの音が鳴っているときは、耳でその音をただ一心に聴いてください。
そのとき、禅で言うところの「一心の境」という状態になっています。
「一心の境」は、「三昧境」に入るための道筋です。
そして、このブザーの音がサッと消えた瞬間が、心が肉体を思わず、心の動きを思わない無念無想の状態です。
ただし、人によっては、無念無想の状態が瞬間で終わっちまう人もいる。
慣れてくると、二秒、三秒、五秒、ときによれば一分も二分もその境涯でいられるようになってきます。
(『信念の奇跡』第6章より引用抜粋)
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【11月17日】 「本当」には二種類ある
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世の中にはどうしても信じられない本当と、ぜんぜん根も葉もないこったが、どうも本当らしいぜ、と思うことと二色(ふたいろ)あります。
そして、世の中の人々は、どうしても信じられない本当は信じません。
嘘でも本当らしいなと思うことはすぐ信じるという、おっちょこちょいな軽率なところが人間にはあるんです。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『君に成功を贈る』「強い命を作る」です。)
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積極的なもののみを受容する
消極的な言葉や文字、行動、現象などに自分の心がフーッと同化的な誘惑を感じたとき、それが「良いことか、悪いことか」を分析的に判断する。
積極的なものは我が心に十分に受容し、消極的なものはそれを受容しないように拒否する。
これを「暗示の分析」という。
世の中には、おせっかいな人がいて、「おい、そんなに無茶すんなよ。そんなことしてやり損なったら大変だぞ。やめとけ、やめとけ」なんていう人がいるね。
せっかく燃えようとするファイトがフーッとしぼんじまう。
他人の言葉やおこないの暗示で、自分の心が上がったり下がったり、エレベーターみたいになる。
これがよくないんだ。
せっかくある目的をもったとき、それをグッと貫けるか貫けないかをよく考えてごらん。
途中でしぼんじまうのは、たいていはほかの人の消極的な言葉やおこないに、自分の心が同化しちまうから駄目なんだ。
(『信念の奇跡』第4章より引用抜粋)
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【11月18日】 潜在意識の重要性
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われわれの意識は、実在意識と潜在意識の二つに分割されている。
そしてわれわれの心理作用の90パーセントまでは、この潜在意識の作用で行われるのである。
ところが多くの人は精神活動の直接の衝に当たっているという関係から、実在意識を潜在意識よりも重視して考える傾向がある。
しかしながら、実在意識の精神活動も単独に行われる場合は、潜在意識の作用から内的誘導を受けて行われているのである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『研心抄』第5章です。)
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心の倉庫の中にある観念要素
人間がものを思ったり考えたりする働きは、実在意識領といわれる心の表面の部分で行われています。
心の思い方や考え方を組み立てる要素をなす観念要素というものは、心の奥にある。
この心の奥を心理学は潜在意識領といっていますが、俗に心の倉庫ともいわれています。
人間が何かを思う、考えようとすると、この心の倉庫の中から観念要素がヒラリヒラリと飛び出して来て、この思考を一つの組織に組み立てるのです。
その組織を組み立てるときに、観念要素が材料になっているのだから、消極的な観念要素を多分に持っている人は、どうしたって組み立てられた思考の組織が弱々しいものになってしまうのです。
(『幸福なる人生』第3章より 引用抜粋)
【11月19日】 心は「気」の働く場
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心というものは生命を創造する「気」の働きを行うための存在であり、心が思ったり考えたりすることによって、生命の活動が表現される。
そして心の行う思考は、すべて個人の命の原動力となっている「気」を通じて、その「気」の本源たる「宇宙根本主体」に通じている。
しかもこの「宇宙根本主体」は一切の万物を創造するエネルギーの本源である。
この絶対的関係を真剣に考えると、思考は人生を創るということに断然結論される。
中村天風
(本日の一日一話の出典は中村天風講演録です。)
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心の行う思い方、考え方は宇宙根本主体とつながっている
心の行う思い方、考え方というものは、そのどんな思い方でも考え方でも、自分一人が思っている、考えていると思っているようなことでも、実は、みんな個人の生命の本質である「気」を通じて、宇宙根本主体に通じているんです。
だから、人間の心の中で思ったり考えたりすることは、そのすべてが、鏡にものを映すのと同じように、宇宙の根本主体に終始映っているのであります。
宇宙根本主体はあらゆるものを作る大根大本(おおねおおもと)だ。
これに映ったものが直ちにそれを現実的につくろうとする自然傾向がある。
この厳粛な事実を静かに考えると、人間が人間の心の中で思ったり考えたりすることは、この宇宙の根本主体のものをつくり出す力と本質的には一つのものであるということを悟らなければいけないんです。
(中村天風講演録より引用抜粋)
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【11月20日】 理性心の正体
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理性心で本能心が統御できるならば、何も人生というものは苦労する必要はありゃしないんだよ。
学問が豊富になって、いわゆる学者、識者とならないまでも常識の中が非常に理知で豊かにされたならば、みんなこの本能心が完全に整理できそうなもんだが、そうはいかないんです。
だから、もう二千年も前から孔子がすでに言っているだろ。
「学んでいよいよ苦しみ極めていよいよ迷う」と。
いい悪いがわかればわかるほど、人間は苦しいんですよ。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『心に成功の炎を』第5章です。)
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理性心と本能心が衝突した例
理性心が負けまいとして本能心と組んずほぐれつしても、理性心は勝てません。
もう酒飲みなんていうのはしょっちゅう負けてるね。
医者から、2本以上晩酌飲んじゃいけませんよ、体にさわるからと言われてるんだ。
3本目を飲みながら、「医者、飲んじゃいけねえっていうから、よそうかなあ。けど、飲みてえんだからなあ。半分だけ飲もうか」
「そんなけちけちしないでもって、みんな飲んじまいなさい」
「けど、医者が飲んじゃいけねえってものを飲んじゃ悪いような気もするが」これは理性ですよ。
今度は肉体の方から、「いいよ、飲んじまえ」と腹の底からくると、「まあしょうがねえ、飲んじまえ」
そうすると、また一本じゃ足らない。「もう一本つけねえか」
この心の衝突がはじまると、金や知識があっても、はたから幸福そうに見えても、人間の精神生活の内部はもうゴチャゴチャになってしまうんです。
(『心に成功の炎を』第5章より引用抜粋)
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【11月21日】 力強い存在
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ほんとうに現在よりもより良い人生を生きようと願うなら、人間なんていうものは何の価値もないもののように考える考え方は断然自分の中から切り捨てなければならない。
というのは、人間とは多くの人々が考えているような力弱い憐れなものではなく、もっともっと力強い尊厳な存在なのであるからである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『真人生の探究』第1章です。)
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もっと幸福におなんなさい
人間は、病まなきゃならない義理張りもなければ、悶えて生きなきゃならない規則もなけりゃ、貧乏で世間付き合いができないという憐れなものでもないんですよ。
病も、煩悶も、貧乏も克服して明けても暮れても、ああ、幸せだなと、明るく、朗らかに、強く、尊く生きられるように生みつけられているんだ。
もっと幸いにおなんなさい。
もっと幸福におなんなさい。
本当になれる権利を与えられている人間に生まれて、そこを拒絶するものは、およそ愚か者だと言っていい。
(『幸福なる人生』第1章より引用抜粋)
【11月22日】 血液の洗濯を行うには
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なぜ多量の空気を人間は必要とするのかというと、自分の血液を完全に浄化させるために必要だからである。
わかりやすく言えば、血液の洗濯を肺臓が行う時の洗剤として必要なのである。
いかに肺臓が強健であっても、空気がなければ完全に血液を浄化することは不可能である。
だから、空気を合理的に自分の生命に活用するには、まず第一に、チャンスがあるたびに、清浄な空気に親しむという心がけを実行することである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『錬身抄』第3章です。)
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呼吸で活力を吸収する
哲学的に考えると、呼吸作用には生命を現実に活かすのに必須である活力を、命の中に充実させる特殊な作用がある。
この活力は、人間の眼に見える物質的の肉体生命のみでなく、目に見えない様々な思想や観念ならびに能力を発現する精神生命の方面にまで、その可能率を高潮する力と働きとを与える尊貴なものである。
呼吸によって活力は広義における全生命に充実させられる。
(『錬身抄』第3章より引用抜粋)
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【11月23日】 蟹は甲羅に似せて穴を掘る
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昔の諺(ことわざ)に「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」というのがあります。
この言葉はまさに人間に与えられた大きな戒めなんです。
出世する人、成功する人は、その心の内容がきわめて積極的なんです。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『君に成功を贈る』「価値高く生きる」です。)
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心の持ち方一つが人生の成功を決定している
若いころに出世街道をまっしぐらに行ったあの豊臣秀吉を考えてみたら、
自分に学問や経験があろうとなかろうと、心のもち方一つが、結局、人生の運命を決定するんだということに気づくはずです。
秀吉は生まれは水呑百姓。
身分もなにもない秀吉が、ついに天下の兵馬の権を手にしたということを考えてみたとき、いかに積極的な心が大切かがわかるでしょう。
秀吉の幼名は日吉丸といいますが、水呑百姓の家に生まれながら、「自分は他日(たじつ=将来)、必ずえらい人間になれる人間だ」ということを思い込んでいた。
それは母親が、天に輝く太陽が懐ろに入った夢みて、みごもったという。
迷信と笑えば笑えますけれど、「母親は一途にそう」信じて、生まれたとき最寄りの寺の和尚にこれを語ったところ、「お日様の生まれかわり」で、日吉丸と名づけたのだそうです。
そして母親は、たえず「日輪が懐ろに入った夢をみて生まれたのだから、お前の父親は天に輝くお天道様だ、いまにえらくなるよ」と語りきかせながら育てた。
こうして育った日吉丸は、「俺は普通の人間じゃない、必ずえらい人間になれる人間だ」と思い込むようになったそうです。
(『君に成功を贈る』「価値高く生きる」より引用抜粋)
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【11月24日】 生活の情味はどこにある
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特に知っておきたいことは、生活の情味というのは、楽しい事柄の中にのみあるのではなく、またさりとて金や物質の豊かな時にのみあるのではない。
悲しいことの中にも、また悲しい事柄の中にもある、況(いわん)や人間世界の階級差別に何ら関係はないのである。
否、むしろ富貴や地位に活きるものは、生活の情味を、そうしたものの中から獲得しようとするために、真の味わいを味わい難い。
したがって真の幸福というものを味了(みりょう)することも容易でない。
中村天風
注1)情味…しみじみと心にしみいるような味わい
注2)味了…味わいつくすこと
(本日の一日一話の出典は『叡智のひびき』箴言13です。)
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情味を見出すためには心の力を強めること
出来得る限り、広くかつ深く、生活の中から情味を見出すことに努力しよう。
もっともっと観念要素を更改し、積極観念の集中力を養成し、神経反射の調節を入念に実行してその実現に努めよう。
要は、心の力を強めることである。
そうすれば、われわれの命の活きる範囲はますます広がっていき、内容もいよいよ豊かになり、そして自然と幸福も分量多く感じることが出来るようになる。
人生に対する心構えはto be(生きているだけ)ではいけない。
to grow(進化)でなければならぬということなのである。
分かり易くいえば、人生というものは、ただ単なる「存在」として活きるのでなく、つねに「生成(進化向上)」を心がけるべきである。
(機関誌『志るべ』に掲載された「箴言註釈13」現代語表記版から引用抜粋)※『叡智のひびき』箴言13に該当。
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【11月25日】 人間だけが進歩する
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太古から脈々と、人間が心に思うことや考えること、「ああなったらいいな、こうなったらいいな」ということが理想化されて、それが一つひとつ現実化されてきて、今この世の中がつくり出されてきたんだろう?
人間にだけ、この不思議な力というものが与えられている。
だから人間の世界にだけ、進歩と発展があるんです。
中村天風
(本日の一日一話の出典は中村天風講演録です。)
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人間だけが持つ力「思考が現実を作り出す」
現在生きている自分の周囲を見てごらん。
いいかい?
目にふれるすべての物は一切合財、宇宙の自然創造物以外の物はすべて人間の心のなかの思考から生み出されたものでしょう。
それがそうだとわかったら、あなた方の一生も、またあなた方の心のなかの考え方、思い方で良くも悪しくもつくり上げられるもんだということがすぐわかってくるはずなんだ。
もっと哲学的ないい方で言うならば、あなた方の心のなかの考え方や思い方が、あなたたちを現在あるがごときあなた方にしてるんだ。
あなた方は、自分が現在あるのは、あなた方の心のなかで思っている考え方がそうつくったとは思ってないだろう。
原因的なものを全然考えないで、これは俺の蒔いた種じゃないと思ってる。
ところがそうじゃないんだよ。
自分の念願や宿願、つまり現在自分がああなりたい、こうなりたいと思っていることが、叶う叶わないということは、それが外にあるのではなくして、みんなあなたたちの命のなかに与えられた心の思う力、考える力のなかにあるんだ。
(『成功の実現』第10章から引用抜粋)
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【11月26日】 我とは何ぞや
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人々は、落ちついて「我とは何ぞや」ということを考えない。
その理由は「我」というものの本質を自覚していないからである。
「我とは何ぞや」ということを正しく理解していないと、人生観が正当に確立されない。
人生観が、確立されないと、自己統御が完全にできない。
それが正しく理解された時、初めて確固不抜の人生観が確立され、その確立された人生観が、内的誘導力となって、自己を完全に統御し得るに至るのである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『研心抄』第1章です。)
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我とは「見えない気体」だと信念する
私たちの本当の正体は、目に見えない気体なんだ。
この見えない気体は、絶対的に、火にも水にも、焼けないし、おぼれもしない。
永遠に不滅のものだ。
強く生きましょう、人生は。
ともすれば、弱く生かされる人生の中を、日常楽しくいこうとするには、強く生きなければ。
それには、強固として揺るがざる自己意識で、我とは見えない気体だと信念する。
そうすると、いかなるときでも、本当に安定した状態。
どんな人生を脅かす病が襲ってこようと、不運が襲来しようと、毅然としたオーロラのように、悠然自若、肉体を完全に支配して生きられるという、我ながら頼もしい人間になれるのであります。
(中村天風講演録より引用抜粋)
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【11月27日】 精神統一
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意志の力の発現に対し、どういう手段が合理的かというと、「常住精神状態を積極的に把持し、必ず統一してこれを使用する」ということである。
精神が不統一で雑念、妄念、錯然(さくぜん)たる場合には、意志は完全に精神領域に顕現してこない。
すなわち、意志集中が現実化されない。
要するに意志は精神領域が整然としている場合にだけ、その本来の絶対性を働きかけ集中するものなのである。
精神統一こそ意志発現を習性づける合理的手段である。
中村天風
注)錯然…入り乱れている状態
(本日の一日一話の出典は『研心抄』第2章です。)
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精神統一の基礎は「澄みきった、はっきりした気持ち」
いつも、何事をなす場合でも、何事を言う場合でも、澄みきった、はっきりとした気持ちで、諸事万事に応接するということを心がける人は、あえて自ら求めるまでもなく、どんな場合にも、意識の混濁というものがないんであります。
つまり心のレンズのピンボケがなくなっちまうんだよ。
どんな場合においても明瞭な意識であり得るように、ひとりでになれちまうんであります。
するとそれが立派な、精神統一の基礎になるんだから、難しいこっちゃないんだ、精神統一ということはね。
この順序の理解がはっきりしちまえば、それで精神が統一されるようになる。
(『心を磨く』第3章より引用抜粋)
書籍のご案内 研心抄 心を磨く CD中村天風講演録集「研修科編」心を磨く
【11月28日】 想像力の応用
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本能心(肉体を生存させるための動物的な心)の整理に著効ある方法として、想像力の応用ということを推奨する。
これは想像という観念現象の中に本能心を整理し得る暗示力が存在しているからである。
わかりやすくいえば、平素勉めて積極的のことだけを想像する習慣を作るのである。
言い換えると、想像を決して消極的にしないように心がけねばならない。
この目的を現実化するのに最も効果的なのは、人間の心の中に存在する高級な欲求心というものを適宜に応用することである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『研心抄』第7章です。)
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「低級な欲求心」と「高級な欲求心」
欲求心には、低級なものと高級なものとの二つがある。
人生を悪い方向に翻弄するのはこの低級欲求心なのであるから、これは努めて排斥すべきだが、高級欲求心(向上欲、改造心、趣味欲など)はむしろ人生の向上に役立つ分量が多いものであるから、決して排斥すべきものではないのである。
ここで特に注意する問題は、この低級欲求心なのである。
低級欲求心は人生の敵であるから排斥すべきであるということが充分理解されていても、いざとなるとなかなか容易に排斥することができないのが常である。
低級欲求心が発動したら、無理矢理にその欲求の発動を抑制、禁止しようと効果のない無益な努力をするよりは、一番簡単なやり方は、それよりも一段高い高級欲求心を応用してこれを適切に統御する方が最も賢明だと、私は強く提唱する。
常に高級な欲求心をもって、低級な欲求心を統御し、これを基盤として想像を積極的なものにするのである。
そうすればその積極的想像作用が強い暗示力となって、本能心はその想像の程度に従って整理される。
(機関誌『志るべ』に掲載された『研心抄』現代語表記版第7章より引用抜粋)
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【11月29日】 善悪の判断基準
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その時代の人間どうしの都合や便宜で作為した、いわゆる第二義的の倫理道徳を標準としたのでは、物事の善悪を正当に判断することは、しばしば正鵠(せいこく)を失することが往々にある。
故に物事の善悪邪正を判断する最も合理的な考え方は、その事柄が現代の人間生活上絶対に必要のことか否かということを基準として考察することである。
ただしこの場合決して個人の生活を本位とせず、あくまで己れの生活している社会全体を標準としなければならない。
中村天風
注)正鵠…弓の的の中心。転じて、物事の要点・急所
(本日の一日一話の出典は『研心抄』第6章です。)
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物事の判断基準は絶対的で普遍・真実性があること
第二次世界大戦後、思想の自由から、続々と政党は結成され、それぞれ論陣を張った。
相反する正義が、いくつもあってよいものか。
また正義と正義が互いに闘争して、殺し合ってもよいものか。
正義は、自分の主張や行動を正当化する口実に過ぎないのか。
「一体、真の正義とは何か」。
私は模索するばかりで、納得できる結論に到達することはできなかった。
結局、天風哲人のお教えをいただくほかはなかった。
天風哲人は、「力も主義も、相対的なものである。相対的なものに基準をおくと、対立し闘争を招く。相対的なものは、真の正義ではない」と断言された。
さらに「真の正義の基準となるものは、人種や階級や主義や力を超えた、絶対的なものでなくてはならぬ。それこそは、人類に共通する普遍性と真実性をもったものでなくてはならぬ。それは一体、何か。それは、人種や階級を超えて、人の心の中で最高に進化した、純粋な心、本心である。本心が正義の基準である。本心に準拠した行動が正義の行動である」と、哲人は力強くいわれた。
(杉山彦一著『いのちを活きる』第6章より引用抜粋)
【11月30日】 下り坂の車と同じ
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多くの人は、人間の生命の力の本来は努力という推進力を与えさえすれば、ちょうど下り坂の車を加勢を与えて押したのと同様にきわめて容易に向上するものであるということを信じない。
そしていつも自分はだめだというように考えるという憐れな自己否定を行う。
するとその当然の結果は、何事に対しても、真剣な努力を継続的に集中させようとしなくなる。
これでは向上どころか、反対に自己向下を、知らず知らずの間に誘発することになるのみである。
中村天風
(本日の一日一話の出典は『真理のひびき』箴言8です。)
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全てが良くなるように組み立てられている「心身統一法」
この教えは、えらくない者がえらくなるための方法なんだ。
それを、自己否定をするからいけないんだよ。
「あたしゃ、駄目だろう」って、これがいけないんで。
その「あたしゃ駄目だろう」と思うものが、駄目でないように、ちゃんと立派に、すべてがよくなりうるように組織がしてあるんだから。
結局要するに、自己をつくり上げるものは、自己の努力と、その努力は自己の情熱に比例するんだぜ。
いくら知性が豊かでも、その知性を研ぎ上げる土台に情熱の火が燃えてなかったら、結局あなた方というものは、ただもう冷ややかな理知だけが、あなた方を苦しめるだけになるぜ。
ただもう実行、実行。これを忘れちゃいけませんよ。
(『心を磨く』第4章より引用抜粋)
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