中村天風財団(天風会)

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今月の天風箴言

「思いやり」という事を現実にするには

先づ何を措いても相手方の気持になって考へて見る事である

箴言註釈四 現代語表記版

思いやり(Sympathy)ということが、いかに尊く清らかな感情であるかということは、誰もが知っていることである。

しかし、ならばそれを真実実行している人はというと、特に現代においては、残念ながらまことに少ないのが事実である。概(おおむ)ねは、思いやりという温かい心の少ない、冷めたい人が多い。ということは、現在我々が生活している世の中を見てみると、この事情がすぐ分かる。

社会のどの層に活きている人を見ても、自分の利害関係ばかりに重きを置いて、いささかなりとも、利害関係に相容れない場合に「思いやり」などという心を少しも見せることなく、全く極度のエゴイストになる人が実に多い。

そしてこの風潮は、嘆かわしいことに、夫婦、親子、兄弟姉妹の間柄にも浸透している。だから概して、和気藹々(わきあいあい)たる平和な状態の家庭が、現代は極めて少ない。

これというのも、要するに「思いやり」という神聖な心情の発露に一番大切な根本的要素である、相手の気持になるということを、考えないからである。相手の気持になるということは、分かり易く言えば、「自分が先方の立場にいたらどうであろうか」ということを考えることなのである。

もともと、このことが人生に対していかに大切なことであるかは、古今東西にわたって、いろいろな言葉で表現されていることからも了解することができる。

誰でもが知っている言葉に、「君子の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ」というのがある。この語は二千年の昔、孔子が言った訓語で、「忠恕」とは、「正しき思いやり」ということなのである。正しき思いやりとは、自分が先方の人間になって考えるということである。

また、英国にも古い諺に、“To be peaceful human life, put oneself in the place of others.” (註・平和な人生を送るには、自分自身を自分以外の人の立場に置くことである)というのがある。これもまた、前句と同様の意味を持つ言葉であるのは、読めばすぐわかると思う。

実際! 自分以外の人の心持を理解し合うことができるという特殊な精神能力が、人間だけに与えられているのはなぜかと考えれば、何事に対しても、まず相手の気持になって考えてみることが、すべての事柄の解決をスムースにする秘訣だということが理解される。

というのは、多く言うまでもなく、相手の気持になれば、おのずから「思いやり」という聖なる気持が、自然に湧き起こってくるからである。

ところがこうした真理がわかっていても、いざとなると、なかなか相手の気持になって考えようという気になれないという人がいる。知らないというのならば仕方がないが、しかし知っていながら尚かつそうした気持になれないというのは、そもそも一体どういうことなのかというと、それはよくよく考えてみるに、結局はその人の人生観なるものが余りにも、「自己中心主義(Egocentricity)」に偏っているからなのである。

そして自己中心主義にその人の人生観がなっているのは、人生に活きる精神態度が、知らず知らずの間に、何ら自制心も克己心もない、セルフ・ファスト(Self-first)という価値のない状態に習性づけられてしまったからという、なかなか普通では、自己に対する公平な省察心のない人には気づくことができない素因があるからなのである。

が…とにかく、こうした人生観でこの貴重な人生に活きていると、一切の物事や現象に対する考察が、どうしても普遍的であり得なくなって、結局否応なく狭義なものになってしまう。

すると、その当然の結果として、人間だけが表現できる美しい心情である「思いやり」という聖純なるものの発露に一番大切な、相手の気持になって考えるという根本要素が無くなってしまう。

そして更に、我々かりそめにも宇宙真理に正しく順応して真人生に活きようと願っている天風会員が正しく理解すべき重要なことは、なぜ人間というものの大部分が、特に現代の人間が、「自己中心主義」という人生観で活きているのかということである。

それは、その観点の置き方を異にしたり、またはいろいろと理屈をつければ複雑に考えられるであろうが、要するに、
○世界観が正当に確立されていない
からだと、私は断言する。

そして世界観が正当に確立されないのは、煎(せん)じつめるとその人生知識の中に、宇宙の真相というものに対する考察と理解とに徹底したものを持っていないがためであるということが、その原因となっているのである。

事実において宇宙の真相というものが正しくわかってくると、自己中心主義という人生観は、決して完全な人生に活きようとする者の正当な人生観でないことが、自然と納得出来るようになる。

そこで、それならば宇宙の真相を正しく悟るには、何をどう考えればよいかというと、先ず第一に考察すべきことは、この世のありとあらゆる物や現象は、もちろん宇宙そのものも含め、そもそも何によって作り出されているかということである。

これが、宇宙の真相を感得する根本的な要点である。

そもそも、この世の物という物の全ては、哲学的に要約すればそのことごとくがみな、「空」という「唯一つの実在」である絶対のものから作り出されているのである。

ただし、「空」とは、「無」ということではない。「無」は、何もない=Nothingである。「空」とは、何もないのではなく、厳密にいえば、「空」とは意識感覚の上に現れ出ない「有」なのである。

これを今から五十余年前までは、誰も科学的に証明した人が世界のどこにもいなかったのだが、一九〇〇年代、ドイツのプランク博士が、この「空」の世界を即ち定数hと査定発表した。 

これはエネルギーの最小単位で、すなわち我々が「空」と称する世界は、永久不滅のガス体が充満している一実体であるというのである。

しかしそれ以前までは、こうした確定した科学的名称がなく、極微粒子という名称で科学者間で呼ばれていたものである。

いずれにしても、こうした永久不滅の絶対的な実在である「空」なるものからすべての物や現象が作り出されているのであるが、ここで特に、深い注意を厳しく払わなくてはならないことがある。

そもそもそれは何であるかというと、このような尊厳な事実と過程によって作り出されたあらゆる物と現象のすべては、何れも一切、単独で存在するものは一つとして無く、厳密に相互に協調してその存在を確保し合っているという、ゆるがせにすることのできない現実があるということである。

分かり易くいえば、もちつもたれつ、互いに助け合って調和を図りながら存在しているということなのである。

そして、この調和が完全である間は、その物の存在や現象は安定しているのである。

それからもう一つ忘れてならないことは、その調和が何かの原因で破れると、それをそのままにはしておかないという、無限の深切さともいえるような行為が、「空」なるものによって常に行われるという事実である。

すなわち、常に不完全を完全に復元しようとする努力が、自然作用として繰り返されているのである。

言い換えれば、いつもこの宇宙の一切を完全にさせるための復元という大きな作用が、この「空」なるものの力によって、さまざまな変遷と推移を保ちながら、絶対に途切れることのない状態で、果てしなく継続して行われている。そして、このようにして、いわゆる諸行無常の姿を以って、すなわちこの世の中のあらゆるものは変化してとどまることなく、ひたすら完全へと進化し向上しているのである。

これがすなわち、宇宙の真相である。

サァそこで、この尊ぶべき厳粛な大事実を考えると・・・否、この犯すことのできない現実の中に、お互い人間が生存し生活しているのだということに想い到ったならば・・・

どうです!

自分の存在のみを重視して、他との協和も協調も考えないで活きるという自己中心主義が、決して正当な人生観でないということを、容易に納得されると思う!
つまり、最も厳正なる人生観は、曰く
○自他共存主義、すなわちこれである。
これを、我が天風哲学は、
○自他統一主義と呼ぶ。

そして、この自他統一主義が真理に則した人生観だとしたら、どんな場合にも、人と接するときには、先ず何よりも相手の気持になって考えてみることが、最も正しい人生態度だと簡単に訳なく気づくべきである。

まことに心すべき、また、必ず実践すべきであると、心に銘すべきである。

『天風哲人箴言註釈』昭和三十八年発行、「箴言四」現代語表記・編集部編

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