新箴言註釈二十 現代語表記版
明治維新の直後、王政復古となったある宵、山岡鉄舟が仲よしの高橋泥舟(註・鉄舟の義兄。勝海舟と共に幕末の三舟と称された)と銀座を散歩していた。現在と違って当時の銀座は、夜店といって種々な品物を売る露店が、今の京橋から新橋までの両側に、今の名古屋の目抜き通りよりも賑やかにずらりとばかりに、宵の口から九時、十時ころまで店を出していたものである。(この風習は太平洋戦争の終戦時から取止めになったから、今の青年は知らないと思う)
そのとき泥舟が一軒の古道具屋に掛けてあった軸物を指して、「おい山岡、貴様の筆だという掛け軸が売りものに出ているぞ」というので、「そうか」といって鉄舟がよく見ると、全く自分の書いた覚えのない字なので、「オイ、その掛けものは誰が書いたものかね」と古道具屋の主人に訊ねると、ニヤくしながら「ここに添え書きしてある通り、山岡大先生の書かれたものです」とサモく得意気にいうので、「本物かね?」というと、「真筆に間違いありません」というので、「お前は山岡という人を知っているのか」というと「エゝ、よく存じ上げていますとも」と当の本人の鉄舟を本人とも知らずに平然としていうので、実はオレが山岡だと言おうと思ったが、あまりにその掛けものの字が見事なので「随分うまく書けているね」というと、「これは山岡大先生の傑作なのです。実は故あって私の手に入りましたものですが、いかがです、お求めになっては」というので、「いくらだね?」と試みに訊ねると、「ほんとは十両と申上げたいのですが、今夜初めてのお客さんですから思い切って五両にしておきます」という。
山岡は笑いながら、「よし、求めてつかわそう」と、即座にそれを買い取ったので、傍らにいた泥舟が、「よせよ、全然覚えのないニセものなんか買うなよ」というと「ニセものということは一目で分る。が、とても見事な筆跡だ。それに書いてある文章がとてもよい言葉だ。俺はこれを手本にしてみるつもりだ」といって、常に床の間にかけて生涯大事にしていたというエピソードがある。
これに似た話が、頭山恩師にもある。それは翁の居室に西郷隆盛の書という額が掲げてあったのを、あるとき野田大塊(註・原敬内閣等で逓信大臣他を務めた政治家・実業家。歌人・俳人としても有名)が見て、「こりゃニセものたい」というと、恩師はニコニコしながら、「ニセものでも文句が良かけん、おいどんはホンモノだと思うて、朝夕ありがたく心の鏡として見とるよ」と事もなげに言われた。
それを傍らで耳にした私は、なるほど模倣に対する結局はその心の思い方で、ニセものでもその人の考え方次第で良くも悪くもなるんだと、つくづくその言葉から計り知れない貴重な訓えを感じ取ったものです。
そしてもう一つ、痛感したことは、かつて、国外での任務に従事するため出発するとき、頭山恩師のところにお別れに参上した際、恩師は「出来るだけ善か事は真似することばい、そして人に迷惑かくるような悪か事は、決して真似するでなかぞ」と心をこめて言ってくださった。これはとりもなおさず、模倣というものは、言い換えると、真似事というものは、極致に到達すると真実と同様になるという、わかり易くいえば絶対真理があるゆえ、出来るだけ善い事のみを真似するべしと、戒しめられたので、
「善い事はなんでもいいから真似しろ
悪い事はウソにもかりそめにも真似するな」
ということなのである。
実際! 模倣が極度に到達すると、真実と寸分違わないようになるものなのである。
これも私の思い出にある話の一つだが、有名な歌舞伎俳優の羽左衛門(註・十五世市村羽左衛門)と柳橋の一旗亭で会食した時、当時隅田川の一名物となっていた、声色の物まね屋(註・声帯模写)が猪牙舟(注1)に乗って流して来た。年配の人はよく記憶しておられると思うが、唐桟(注2)づくめの粋な江戸っ子風をした二人か三人連れで、三味線や鉦や拍子木入りで、舟の中から船宿の窓の下に来て座敷の客に、「ヘイ、ご機嫌さまで。一席、橘屋(註・羽左衛門の屋号)いかが?」とか「播磨屋(註・中村吉右衛門の屋号)といきましょう」というようないなせ(註・粋でさっぱりとして心意気のあること)なかけ声をかけて、当時の名優の声色を真似て投げ銭を貰うという芸人が、その当時隅田川の四季を通じていたものです。
そこで興味があったので羽左衛門を一つやれと言うと、「待ってましたっ!」と景気よく受け答えして、例の玄冶店ゆすりの場(注3)を、羽左衛門が中に居るのを知るや知らずや、極めて巧みにやってのけた。
すると、それをジッと聴いていた羽左衛門本人が、「コリャ私の一番調子のいい時の声とソックリだ。実にうまいものですね」とつくづく感心したが、私たちも、本人が言っているのとソックリ同じに聞こえたので、全くそのうまさに驚いたものです。
ですから、こうした真理に照らし合わせて、諸君も大いに私の長所はもちろん、修練会で行修したすべてのことをできる限り熱心に模倣してほしいのです。そして人の世のためになることを実行されると、それがとりもなおさず諸君を真人と為して、大なり小なり世の人々を苦しみから救うことになり、大きい有意義な功徳を積むことになるのであります。
いずれにしても、自己を完全に啓発し、自己を真実に向上させて、人の世のため真に役立つという真人となるためには、ひたすらこうした心がけで何でも善いことを模倣することに専念すべしであります。
そして悪いということは、特に人の迷惑になるようなことは、ウソでも真似せぬことです。
すなわちこのことを重大に考えて、忘れることなく我と我が心に厳しく銘記してこそ、天風会員としての当然の心がけだと断言します。
いにしえの聖人の格言にも、
良師は以て須らく宝と為す可し
良友は以て須らく鑑みと為す可し
というのがあります。
この言葉は要するに、良い模倣の極致にもたらされる真の価値、換言すれば自己暗示の感化を善良の方面へ積極的に応用するという、実際的な心がけを教え諭している言葉であります
したがって、宇宙真理に順応して真人たらんとする我らは、特に修練会を行修した人々は、常に一生懸命に誠を尽くして実践の模倣に志し、気どらず、ぶらず、自然のままの純真さを発揮して、ただひたすら践行に努められたいと、あえて熱烈にお奨めする。
注1〔猪牙船〕猪の牙のように、舳先が細長く尖った屋根なしの小さい舟。
注2〔唐桟〕唐桟は江戸時代にイギリスやオランダの船によって東南アジアから持ち込まれた織物、ま
たそれを模倣した太めの縞模様が織り出された綿織物。当時としては異国情緒があってしゃれていた。着物も帯もこの唐桟縞で揃えているのが粋な姿で江戸っ子風であるということ。
注3〔玄冶店〕歌舞伎の演目『世情浮名横櫛』の有名な一場面で、羽左衛門は主人公の与三郎の役を
得意とした。
「志るべ」昭和四十一年九月、八十号「新箴言二十」現代語表記・編集部編
