自己の言行に飽くまで責任を負う覚悟のない人は
かりそめにも天風会員としての誇りを
自から冒瀆するものである
箴言註釈14 現代語表記版
本来、我が天風会の教義の真髄は、自主自律という点にある。このことは会員各位の周知の事実である。
これは即ち「天は、自ら助くるものを助く」という宇宙真理に起因しているもので、分かり易くいえば、この真理が天風教義たる心身統一法の組織の根本をなしているのである。
従って、心身統一の各法のことごとくが、自助自制をその教義、教法の中核とされているのも、この由縁と信条とがあるためなのである。
そしてそこにまた、天風教義が世界的にユニークであると称される理由があり、同時にまた、我らが天風会員たる誇りを感ずる点もここにあるのである。
しかもこの誇るべき尊く貴重な教義の目的徹底に対して、前掲の箴言の中にある「自己の言行に飽くまで責任を負う」という、人生に必要不可欠な覚悟がその心の中にないと、往々にしてその万全を阻害される怖れが存在しているという事実を明瞭に知り得ている人が、会員の中にもあるいは少ないのではないかと思うが、いかがでしょう。
しかし、この事情を知る知らざるを問わず、実際において自己の言行に対して責任感をもたない人は、何としても自主自律という人間本来の在り方を完全に実行することができないのである。
そしてその理由は、自主自律の根本主体ともいうべき自助自制という大切なことが、第一に実際に実行されなくなるからであるという、ちょっと気のつかないデリケートな事実があるからなのである。
というのは、この種の責任感の欠如している人というのは、概して教義の実行に対しても、その責任感が薄いということになるためである。
そして、それがやがて人生の幸福をも破壊する原因となるということに思い到れば、現代人がとかく重大に考えないであろうこの「自己の言行に対する責任感」の有無というものを、もっともっと慎重に考えなければならないと断定する。
ましてや、自己統御を完全にして自己を完成し、人の世のためになるという有意義な価値の高い人生を建設して、万物に霊長たる真価を発揮することを念願とする我ら天風会員は、より一層、こうした完全人生の建設に対して、デリケートな影響を及ぼすという事実を軽く考えないように、厳しく自戒すべきであると強く勧める。
要約すれば、この心がけを厳格に心に保たないと、真人生建設に何よりも必要な条件である自己統御が、何としても徹底されないのである。自己統御が徹底されなければ、何のために人生に係る宇宙真理を知得したのか分からないという、文字通り笑えない滑稽な結果をやむなく招いてしまう。
そして、ここに特に戒めるべきことは、自己の言行に責任感の薄い人というものは、ややもすると自己の健康や運命に何かの変調が生じた場合、その原因をとかく自分以外の他に転嫁して、しかもそれが大変な間違いだと気付かないという、見逃すことのできない重大事実があるということである。
健康や運命の変調の原因を他に転嫁して考える限り、それが決して正当な考え方でないために、どうしてもその健康や運命をより良い状態へと挽回することが不可能になる。
要するにこれらの事柄については、毎年催す真理瞑想補成行修会の際にも、厳しく強調している「自己の人生に生じるすべての出来事は、すべて自己に責任があると自覚して処理しない限り、完全な人生を作り上げることはできない」という、あの教えを思い起こしてみるべきである。
実際、人生と責任感というものくらい、密接な補完関係をもつものはないのである。
そうであるにもかかわらず、それをそうと自覚しないで貴重な人生に活きていると、その当然の結果として、普通一般の人々がもっていない貴重な理解を人生に対してもっているという誇るべき天風会員としての資格を、知らず知らず自ら蔑ろにすることになり、その挙句、自己のプライドを正しく認識しないという冒瀆を、自分自身にあえて犯してしまうことになる。
いずれにしても、こうした重大な事情を深く考えると、常に自己の言行に対してはあくまでも責任を負うという覚悟をその心に厳しくしっかりともたせるよう、その心がけをいい加減にしてはならないと実感されるものと確信する。
『天風哲人箴言註釈』昭和三十八年発行、「箴言十四」現代語表記・編集部編