マンガ中村天風 刊行記念対談 漫画家 木村直巳  原作者 遠藤明範
漫画家 木村直巳  原作者 遠藤明範
1962年生まれ。東京都出身。1978年「マンガ少年」新人賞に佳作入選。受賞作の『最後の妖精』で同誌にデビュー。代表作に、第7回文化庁メディア芸術祭賞『てんじんさん』(双葉社刊)をはじめ、『天涯の武士』(リイド社刊)、『イリーガル』(小学館刊)、『監察医 朝顔』(実業之日本社)等。ダイナミックかつ精緻な描写に定評がある。
1959年生まれ。脚本家、作家。『機動戦士Zガンダム』のテレビシリーズ等、多くのテレビアニメ、オリジナルビデオアニメ、ラジオドラマ等の脚本を手がける。また、『3X3EYES』『攻殻機動隊』等のノベライズを執筆。マンガ作品として『幕末めだか組』(作画:神宮寺一/講談社)の原作を担当。








2010年6月に「マンガ中村天風」の第4巻が発行され、全4巻が完結しました。そこで全巻刊行された今、漫画家と原作者である木村さんと遠藤さんに、これまでのご苦労や思いをお互いに語っていただこうとお越しいただきました。この企画がスタートしたのは、2008年の初めでした。もう2年半も前になります。
遠藤 そうですね。尾身理事長から天風先生のマンガを作りたいというお話があって、池田専務理事を委員長に企画委員会が組織され、ぼくも委員の一員として呼ばれたんです。ぼくはアニメーションの脚本を手掛けていたので、マンガ制作の事情に詳しいと思われたんでしょうね。
 それで最初は、「マンガで読む経済学」みたいな、ああいう感じでマンガ版の心身統一法解説書を作ろうという意見もあったのですが、せっかくマンガ化するのだったら、天風先生のあの波乱万丈な生涯を描く形にしたらどうだろうということに企画委員会の意見がまとまっていったんです。
木村 そうですね。「マンガで読む経済学」みたいな本は、どうしても吹きだしの中の文章を読むことが中心になり、マンガとしての魅力は半減してしまいますからね。
遠藤 最初はぼく自身がシナリオを書くつもりはなかったんですよ。天風会の企画委員の一員として、プロデューサー的なことをしようかな、と思っていたのですが、2009年が天風会創立九〇周年という節目の年で、その目玉企画にしようという話になったんです。それでスケジュール的に考えると、今からシナリオライターを決めて、マンガ家さんを選定して、日程を空けてもらうとすると絶対間に合わないだろうということになって、じゃあ、ぼくが書きますよ、とお受けしたんです。
 それから、天風会の会員さんで女性のマンガ家さんがいて、その方に企画委員会に来ていただいて、いろいろなレクチャーをしていただいたんですよ。そういうこともあって、段々マンガ作りのイメージができるようになって。
木村 そうだったんですか。
遠藤 それで、まずはどの出版社から出そうかっていう話になって、そのマンガ家さんのアドバイスとしては、一番...
木村 大きな所から?
遠藤 そうです!(笑)実力のある大きな出版社から順番に話を持っていこうということになった
んです。つまり、天風会館から徒歩一分のところにある講談社から。
 ぼくらの仕事って普通ボトムアップなわけです。 こういう企画があるんですって、編集部に持ち込む。そういうやりかただと途中で編集者さんの机の中にしまわれたまま止まってしまったりするんで、トップダウンでいきましょうというのがそのマンガ家さんからのアドバイスでした。
 それで、尾身理事長と講談社の野間社長がお会いになることになって、スムースに話が進んだわけです。
木村 それはすごいですね。
  遠藤さんはシナリオライターとして活躍されてきた中で、やはりいつかは中村天風の物語を書きたいという思いはお持ちだったんですか。
遠藤 そういう機会はあるかなとは思ってました。
木村 その当時から、結構天風先生のことを調べたりなさっていたんですか?
遠藤 そうですね。ぼくはなんでも物事を始めるときは、例えば野球をやろうと思ったらまず野球のルールブックを読むようなタイプなんです。天風会へ入った時も、関係書は全部読みました。それで天風先生のこととかいろいろ調べていたので、かなりね、マンガのために調べたわけじゃなくて、もとからそういう性分なんです(笑)。お引き受けした理由の一つはそういうこともあるんですね。
木村 天風会や天風先生のことを知らない人がシナリオを書こうとしても大変ですからね。もっと時間かかったはずですよね。
遠藤 講談社で出版することになって、講談社コミッククリエイト社長の由利さんが最初の担当についてくれて、マンガ家さんの候補者を何人か推薦くださったんです。その中に木村さんもいらっしゃったわけですが、候補者の方の作品を拝見したところ、尾身理事長、企画委員会の満場一致で木村さんにお願いしよう、ということになったんです。即決でしたね。
木村 光栄です。
  木村さんには、どういうかたちでお話があったんでしょうか?
木村 実は、ぼくが漫画家としてデビューしたときの最初の担当者とぼくが一方的に信じている(笑)方が、由利さんなんですよ。それで、もう20数年振りに由利さんから電話がかかってきた。
 突然電話がかかってきて、ちょっと仕事頼むかも知れないけど大丈夫か、ということを言われて。
まあ、それだけで嬉しかったんですね。ぼくは10代半ばでデビューして、10代後半で由利さんが担当でしたから、先生みたいに思ってたんですよ、あの頃は。だから、その人がぼくに仕事をさせてくれるという、それだけで舞い上がっちゃったんですけど・・・こんな大変なんて思わないで(笑)。